財団法人の学術研究助成

顔写真

氏名
米澤 晋彦/ YONEZAWA Kunihiko
E-mail
yonezawa@akita-nct.ac.jp
職名
准教授
学位
博士(国際文化)
所属学会・協会
日本科学史学会、大学史研究会、秋田大学史学会、秋田近代史研究会
キーワード
財団法人、斎藤報恩会、学術研究助成、教育研究思想
技術相談
提供可能技術
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研究内容

 日本で最初の学術研究助成に重点を置いた財団法人である斎藤報恩会が、いかなる学術研究助成を行っていたのかを明らかにしています。

 斎藤報恩会は宮城県出身の資産家である9代斎藤善右衛門有成(1854~1925)が出捐した300万円を基に、1923(大正12)年2月20日に設立されました。斎藤は「勤労」によって得られた財産は「天財」であり、私すべきものでないと考えていました。また、「過大な財産」を子孫に残すのは「家運の衰退」を招くと考えていました。そこで「過剰な財産」を悉く財団法人の基金にして「慈善事業」を行い、理事長に斎藤家の当主を就任させ、「徳望人格一世に高き」顧問や監督の「感化」を受けさせて「徳育の一助」とし、「家運の長久」を計ろうと考えたのでした。そうして設立されたのが斎藤報恩会でした。斎藤報恩会は設立以降、東北地方を中心に八木秀次らの「電気通信法ノ研究」、本多光太郎らの「低温研究」、宇井伯寿らの「西蔵仏典の研究」など、文理を問わず数多くの助成を行い、学術の発展に貢献したのでした。

 斎藤報恩会の設立・運営には小川正孝、井上仁吉、畑井新喜司、小林巌など、多くの東北帝国大学の研究者たちが関わっていました。青森県出身の畑井は学術研究総務部長として報恩会の運営に欠かすことのできない存在でした。終戦直後の混乱期にも学術研究助成を絶やすことなく続けることができたのは、畑井の後を継いで学術研究総務部長となった小林の尽力によるものでした。また、学術研究助成の採否を決めたのも東北帝国大学の研究者たちでした。彼らは東北帝国大学の研究者たちの研究だけを採用したのではなく、東北地方の学術の発展を考え、採否を決定したのでした。

 斎藤報恩会は今泉善夫、大橋良一、脇雄蔵など秋田鉱山専門学校の研究者たちにも学術研究助成を行っていました。今後は斎藤報恩会が秋田鉱山専門学校の研究者たちにどのような学術研究助成を行い、その結果いかなる成果を挙げることができたのかを明らかにしたいと考えています。

 

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名称・型番(メーカー)
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